お金を稼ぎたいと考えることは悪いことなのか?-精神論と現実の違い

お金について

みなさんはお金について、なんとなく汚いものだという印象がありませんか?

特に大きな理由はないものの、なんとなく汚いものだと考えている人、

もしくはお金に対して意地汚くなるな、というような教育をされたという人は多いのではないでしょうか

 

しかし、それについて小さいころからのすり込みで、

疑問に思わずにいる人も多いのではないでしょうか。

 

今日はなぜお金が汚いという考え方が多くの人が受け入れられているのかについて、

個人的な意見を書いてみます

 

結論から言うと、僕はお金を稼ぐために必死になることは汚いことだとは思いません

むしろ、そうあるべきだし、そうでないことこそ恥ずべきだとさえ思います

 

お金を稼ぐためには、お金を使ってくれる人がいなければなりません

お金を使ってくれる人は、寄付のつもりではもちろんなく、その人にとって役に立つと考えてお金を使っているわけです

絶対に役に立たない、買っても買った瞬間に捨てるようなものを買う人はまずいません

つまり、お金を稼ぐということは誰かの役に立っているという事実が間違いなくあるわけです

 

しかし、お金は汚いという考えの人は、誰かの役に立つなとは決して言うことはありません

むしろ、他人の役に立てるような人間になれ、というようなことはよく言います

役に立つとはどういうことでしょうか

困っている人を見つけたら助けてあげることでしょうか、

なにかを達成しようとしている人の助けになってあげることでしょうか、

これら以外に役に立つ方法はあるのでしょうが、それらは目に見えてる人だけを助けて上げられればよいのでしょうか

 

私はこれらのことを否定するつもりは全くありませんが、

お金を稼ごうとしている人も、遠回りではあるものの、目には見えない範囲の人の助けになっているはずです

最初に書いた通り、その商品やサービスが必要だからお金を出して買おうとするのです

必要なことに対して見合う価値を出さず、無料で自分の満足だけを得ようとする、

そんなことを考えているような相手ならば、その商品やサービスは本当に必要とされるものではないのではないでしょうか

 

もちろん、無料で配布しているものが悪いと言っているのではありません

それを無料で配布するというのは、最初にその商品を知ってもらう必要があるからです

物があふれていると言われるような今の状況で、

全く無名のものがそのポテンシャルだけで知られるようになるのはとても難しいです

評価のしようがないからです

そのために、1度知ってもらう必要があり、知った人が必要ならば追加で購入しますし、

さらには、その商品を他の人にも知ってもらいたい、というほどに感じられるのであれば、

口コミによって商品の知名度は上がります

その結果、最初無名のものだった商品は、時間が経つにつれて必要な人の手に渡るようになっていくはずです

種を蒔き、芽が出て実が取れるようになるのを待つイメージで考えると、

「最初の無料での配布」というのは、種を蒔いている状態です

果物を育てるときに、種のまま収穫する人は誰もいません

種を育てて実をとるために、実ができるまでに大きな投資をしているわけです

だからこそ、「最初の無料での配布」はお金を稼ぐための準備として必要なものなのです

 

話を戻しますが、お金を稼ぐことを考えるというのは、

この「種を蒔く」の前の「なんの種を蒔くか」を決める段階です

だからこそ、このとき蒔く種によって誰のためになるのか、

誰の役に立つのか、を考えていることと同じことだと僕は考えています

 

だからこそ、最初に書いた通り、お金を稼ぐことに必死になるべきであると考えています

それは誰かの役に立つための行為に他ならないからです

 

そのお金を稼ぐことを否定するような人というのは、自ら人の役に立つことはやるな、と言っているようなものなので、

それこそ恥ずべきであると考えています

 

 

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